中山道旅日記10 須原宿-野尻宿-三留野宿-妻籠宿

21日目(3月24日(木))須原宿-野尻宿-三留野宿-妻籠

第39宿 須原宿・本陣1、脇本陣1、旅籠35

(日本橋より75里12町24間 約295.89キロ・上松宿より3里9町 約12.8キロ)

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昨日は、疲れていたので素通りしてしまったので宿場の手前まで戻り旧道を歩くことにする。そこには、「左中山道 須原宿へ」の道標や「水舟の里 須原宿」の看板、江戸から七十五番目の「須原の一里塚」がある。

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駅前まで来ると、幸田露伴の文学碑が建てられている。幸田露伴は、須原宿に滞在し「風流仏」を書きあげた。文学碑には「ご覧くだされ是は当所の名誉花漬、今年の夏のあいさつをも越して今降る雪の真最中、色もあせずに居りまする。」と記されている。

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須原宿は、清水がいたる所に湧き出ていて「水舟」(丸太をくりぬいた水汲み場)と呼ばれる水飲み場があちこちに置かれている。

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本陣・木村家と脇本陣・西尾家が向かい合っておりその先左手に水舟と須原宿碑があり、碑には正岡子規の歌-寝ぬ夜半をいかにあかさん山里は月出づるほとの空たにもなし-が刻まれている。碑に添えられている立て札には「須原に至りし頃は、夜に入りて空こめたる山霧深く、朧々の月は水汲む人の影を照らし寂寬たる古駅の趣、いう計りなく 静かなるに道の中央には石に囲いし古風の井戸ありて、淡島神社の灯籠其の傍に寂しく立てり。(日本名勝写生紀行)」黄昏せまる山間の宿場町のもの悲しい情景を想像させる文章である。朝8時過ぎの今も人影が全くなく静寂が宿場に広がっている。

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さて、その先には島崎藤村の小説「ある女の生涯」の舞台となった「清水(蜂谷)医院跡」があり「聴けます 須原ばねそ よいこれ」なるものがありボタンを押すと「よいこれ」が流れてくる。

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この宿場町は、大火があったにもかかわらず趣のある昔ながらの町並みが残っている。

水舟についての立て札が立っている水汲み場もある。ペットボトルに水をいただいた。

今のようにどこにでも自動販売機があり簡単に水を買うことが出来る時代と違って当時の旅人にとってこのような水場は、本当に有り難い存在だったに違いない。

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宿場を進んで、左手には「三都講」の看板を挙げている古い旅籠「かしわ屋」が残っている。「三都講」とは「御嶽山参拝」の講元(講を作って神仏に詣でたり、祭りに参加したりする信仰者達の世話人)と言われている。

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このあたりが宿場に出口であろう。「桝形」の案内板があり、右手へ下りていくと旧道である。「桝形」に入らずまっすぐ行くと左手に「浄戒山定勝禅師」がある。この寺は桃山時代の建築様式を今に残すもので「山門」「本堂」「庫裡」はどれも重要文化財に指定されている。「鶴亀蓬莱庭園」とよばれる庭園も素晴らしい。

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当時は、「定勝禅師」で行き止まりであったそうだが現在は、県道になっていてそのまま歩いて行ける。ここは、桝形に戻って旧道を行くことにする。

しばらく行くと、「須原宿 右 中山道野尻宿」の道標がある。

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のどかな農道を歩いていくと道は直角に右折し、急な下り坂を下ったところに「天長禅院」がある。特徴のある石仏が入り口に並んでいる。

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天長禅院を出てさらに坂を下っていくと右手にJR大桑駅、左手に大桑役場があるが線路を越えて国道を横切ったところに「弓矢の一里塚」がある。

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旧道に戻って先を進むと国道に合流する。国道を進み再び旧道に入ってJRの線路を渡ってしばらく行くと野尻宿である。「野尻宿 東のはずれ」のも木版が掛っている。

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第40宿 野尻宿・本陣1、脇本陣1、旅籠19

(日本橋より77里6町47間 約303.13キロ・須原宿より1里30町23間 約7.2キロ)

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 宿場に入ってしばらく行くと本陣跡の説明版、明治天皇御小休所跡がありすぐ先に「脇本陣跡」の碑が置かれている。

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その先、JR野尻駅付近は、道が曲がりくねっている。敵を防ぐための「桝形」が随所に設けられており「野尻の七曲り」と呼ばれ、野尻宿の特徴になっている。これは、現在かわらず、わずかに昔の面影を残している。

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もう午後1時を過ぎているが食事をとれるような店はなく、かろうじて小さな店でカップラーメンとパンを買いお湯をもらって野尻駅の待合室で食事とした。

さて、旧道を先にすすむと「西のはずれ」の木版が立てられている。

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 宿場を出てしばらく行くと「下庄郷」と呼ばれる集落に出て「下庄郷の一里塚」があり、その先に「左野尻宿 右三留野宿」の道標が立っている。

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先へ進むと旧道はやがて国道19号に出会うが少し国道を歩き、すぐ先で旧道に入る。少し行くと「八人石の二十三夜様」と呼ばれる石仏群が祀られている。

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旧道を行くと左手にJR十二兼駅があり、駅を越えた国道19号沿いに「十二兼の一里塚」がある。

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旧道は、やがて国道19号ご合流し、そこからは右手に木曽川を見ながら国道を歩くことになる。県道264号と出会ったところで県道(旧道)に入っていく。中央線のトンネルをくぐり下り坂を下っていくとやがて「三留野宿」入り口である。

第41宿 三留野宿・本陣1、脇本陣1、旅籠32

(日本橋より79里27町47間 約313.48キロ・野尻宿より2里21町 約10.1キロ)

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宿場に入り、しばらく行くと「脇本陣」(宮川家)、その右手に「本陣跡」の説明版が立てられている。また、「明治天皇」行在所」碑、「明治天皇御膳水」の説明版さらに「枝垂梅」も残っている。

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先へ行くと「園原先生の碑」があり説明版が添えられている。園原氏の住宅跡で、三留野天神社の神官であった園原氏は「木曽名物記」や「木曽古道記」などを残している人物だそうである。先へ行くと「桃介橋」がある。

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さらに、「和合の枝垂梅」や「馬の水桶」などもある。枝垂梅は、江戸時代、木曽谷有数の酒造家・遠山氏の庭木として愛育されてきた古木で町の天然記念物に指定されている。

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旧道を先に行くと左手に「ふりそで松」右手に「かぶと観音」が見える。

かぶと観音は、木曽義仲が北陸路を京に向かう際、木曽谷の南の抑えとして妻籠城を築き、鬼門の神戸の祠に兜の「八幡座の観音」を祀ったのが始まりと伝えられている。ふりそで松は、義仲が弓を引くのに邪魔になる松を巴御前が袖を振って倒したところからその名がついたと言い伝えられている。

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先へ進むと、一里塚が残っている。「上久保の一里塚」と呼ばれ、日本橋から八十番目の一里塚である。

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先の坂を少し下ると「良寛の歌碑」が置かれている。(良寛は、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶で歌人漢詩人。)

「木曽路にて -この暮れの もの悲しきに 若草の妻呼びたくて 小牝鹿鳴くも-」。

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その少し先には「くぼはち茶屋」の碑がひっそりと建っている。茶屋碑の後ろに水車小屋が見え、なかなか風情のある眺めである。

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旧道は、この先桧林の坂を上ることになり、坂を上り切ったところに「中山道蛇道」の道標が建てられており、「左下り道 志ん道(新道) 中山道蛇石 右つまご宿」と刻まれている。

少し先には、蛇石があり、「名石 蛇石 中世の中山道はここから沢沿いに上がっていた。元禄16年(1703)道の付け替え工事が行われて妻籠城総堀を通る現在の道となった」と説明版が添えられている。

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さらに先へ行くと、「妻籠城跡」の碑があり、「妻籠城は、いつ誰によって築かれたか明らかでないが、室町中期には築城されていたと推察される。妻籠城は、天正十二年(一五八四)の小牧・長久手の戦いの折、ここも戦場となり、木曽義昌の家臣山村甚右衛門良勝(たかかつ)が籠って徳川家康配下の菅沼・保科らの軍勢を退けている。また慶長五年(一六〇〇)の関ケ原の戦いのときも、軍勢が入ってここを固めたが、元和二年(一六一六)には廃城となった。妻籠城は典型的な山城で、空堀・帯曲輪、さらには南木曽岳にのびる妻(さい)の神土塁という土塁も備えており、規模の大きな構えであったことが知られる。」と説明版に書かれている。(木曽義仲が北陸路を京に向かう際、木曽谷の南の抑えとして築いたとされているが・・・・)

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 この先急こう配の坂を下っていくと古い町並みが見えてくる。いよいよ妻籠宿である。

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宿場に入るとすぐに「こいが岩」の碑を見かける。これは、その形が鯉に似ていたところから「鯉岩」とも呼ばれていたが明治時代の地震で頭の部分が落ちて今はただの石にしか見えない。その右手に熊谷家住宅があり、中を見ることが出来る。

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すぐ先の「地蔵橋」を渡ると「口留番所跡」があり江戸時代初期、中山道を行く旅人を監視していたのだという。その先右手に高札場跡、左手に水車小屋がある。

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古い町並みが昔の情緒を醸し出している。

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今日はここまで、旅籠「さかもとや」で旅の疲れを落とそう。

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