奥の細道 一人歩き 18 玉生-矢板

17日目(2020年1月19日(日))玉生-矢板

前回は、先を急いでいたため玉生宿をよく見ることが出来なかったので今回は玉生からのスタートとする。

宇都宮駅12時5分発のバスで玉生へ。

バスを降りるとすぐに「日光北街道・玉生宿」の大きな碑が目に入る。日曜日の昼下がり、道行く人は誰もいない。

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                                                 奥の細道

                                                七 那須

那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかかりて、直道をゆかんとす。遥に一村を見かけて行に、雨降日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明くれば又野中を行く。そこに野飼の馬あり。草刈おのこになげきよれば、野夫といえどもさすがに情しらぬには非ず。いかがすべきや、されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷旅人の道ふみたがえんあやしう侍れば、此馬のとどまるところにて馬を返し給へと、かし侍りぬ。ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独(ひとり)は小姫にて、名をかさねと云。聞きなれぬ名のやさしかりければ、 

- かさねとは八重撫子の名成べし - 曽良 

頓て(やがて)人里に至れば、あたひを鞍つぼに結び付て、馬を返しぬ。」

(あたひ=馬を借りた礼金

曽良日記

「船入より玉入ヘ弐リ。未ノ上尅ヨリ雷雨甚強、漸ク玉入ヘ着。

 同晩、玉入泊。宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル。

 同三日 快晴。 辰の上尅、玉入ヲ立。鷹内ヘ二リ八丁。鷹内よりヤイタヘ壱リニ近シ。

 ヤイタヨリ沢村ヘ壱リ。沢村ヨリ太田原ヘ二リ八丁。太田原ヨリ黒羽根ヘ三リと云ドモ二リ余也、翠桃宅、ヨゼト云所也トテ、弐十丁程アトヘモドル也。」

船生から玉生まで二里。この辺りは日光連山の地形のため雷が発生しやすいところで午後1時頃(未の上刻)にやっとの思いで玉生に入ったが「宿悪」のため、頼み込んで名主の家に泊めてもらった。「宿悪」というのは宿が汚かったのではなく紹介状がなかったため泊めてもらえなかったという事だそうだ。見ず知らずのものを泊ることを禁じていたのであろう。ともあれ、芭蕉たちは、名主の家に泊めてもらうことができた。

さて、玉生宿の入口あたりに関東自動車バスの車庫があるのだが、その裏に「奥の細道芭蕉翁の遺跡・この地は今より二百七十余年前第五代将軍徳川綱吉の元禄二年俳聖芭蕉主従が東北をたずねる道すがら一泊したところです。・・・・この玉入が玉生で農夫の家すなわち当尾形医院前身代々庄屋をつとめた玉生氏であります。」と刻まれた碑と「芭蕉一宿の跡」と刻まれた碑が置かれている。

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少し先には「和気記念館」がある。古都の雅(みやび)に憧れ、“幽玄の世界”と評される和木史郎の油絵などが展示されているそうだが、今日は日曜日で休館。

道端にはここにも「芭蕉通り」と刻まれた碑が置かれている。

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玉生宿を抜けて2時間ばかり歩くと「矢板武記念館」があるが午後4時閉館でここも入館できなかった。

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 JR矢板駅から帰宅。