奥の細道 一人歩き 6 粕壁宿-杉戸宿

5日目(2018924日(土))粕壁宿-杉戸宿

4宿 粕壁宿 (越谷宿より二里三十町(約10.0キロ)

本陣1、脇本陣1、旅籠四十五軒、宿内家数七百七十三軒、宿内人口三千七百一人

天保十四年(1843日光道中宿村大概帳による)

粕壁宿は古利根川の舟の便により江戸と結ばれ、物資の集散地として栄え、四と九の付く日に六斎市が立ち大いに賑わった。

今日も武蔵野線、東部スカイツリーラインを乗り継いで一ノ割駅から街道(国道4号線)に戻り、街道を右に入ると古利根川に藤塚橋が架かっている。ここは「三蔵渡し」と呼ばれた渡船場があったのだそうだ。川には水鳥が遊んでいた。

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国道4号線を先に行くと一宮の交差点に八坂神社があり、ここで国道と分かれ再び旧道を歩くことになる。この八坂神社は粕壁宿の市神として信仰され牛頭天王社と呼ばれていたそうである。このあたりが粕壁宿の入口であろう。

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旧道に入る前に東八幡神社を訪ねて見た。この神社は粕壁宿の鎮守で新田義貞の鎌倉攻めに功があった春日部時賢が鎌倉鶴岡八幡宮を勧請したものである。境内の大ケヤキは御神木で樹齢六百年だとのこと。また「三之宮卯之助の力石」なるものがあり「卯之助は、江戸時代の文化四年(西暦一八〇七年)越谷市在の三之宮に生まれ江戸時代の見世物興行の力持ちとして日本一になったこともあり、牛一頭を乗せた小舟を持ち上げるのが売り物だったと言う。この百貫目(三七五kg)の力石は、卯之助が八幡神社で興行したさいに、持ち上げた記念に奉納されたものである。-東八幡神社―」と記された説明版がたれられている。

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一宮の交差点に戻り、八坂神社の向かいにある東陽寺には伝芭蕉宿泊の寺碑「廿七にち夜カスカベニ泊ル江戸ヨ九里余」が置かれている。

奥の細道には「弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、月は有明にて光をさまれるものから・・・・」「千じゅと云う所にて舟を上がれば・・・・」とあるから芭蕉327日早朝、深川を舟で出発、千住で舟を下りて粕壁宿にその日(327日)の夜に着いてたことになる。

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芭蕉1日目の宿泊地は、芭蕉奥の細道に「其日漸(そのひようよう)早加と云宿にたどり着にけり。」と書いているため草加という説もあるようだが、同行の曽良は「カスカベ」と書いている。次の宿泊地が間々田(栃木県小山市)であるから草加からは遠すぎる。やはり、粕壁宿であろうかと思うがここでも説が2つある。この「東陽寺」説と宿場はずれの「小淵山観音院」説である。私は、「東陽寺」説に1票を投じたい。なぜなら深川を早朝に立ち、すでに夜になっているのに宿場を抜けた先の「観音院」に泊まるとは思えないからである。後ほど「観音院」も訪ねてみよう。

旧道に入ると雰囲気が一転する。絶え間なく車が走る国道の騒音から解放されるからだ。

旧道を5分ぐらい歩くと現在の金子歯科医院辺りに「脇本陣跡」の標柱が立っている。「天保元年(1803)この地で旅籠屋を営んでいた高砂屋・竹内家が務め嘉永二年(1849)から幕末までは本陣となった。」と左側面に書かれている。

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さらに5分ぐらい先の群馬銀行の辺りに「本陣跡」の標柱が立っていて左側面に「本陣は大名や高層が宿泊・休憩した公用の施設である。古くは、関根次郎兵衛家が務め、その後、現在地の関根助右衛門家、見川家、小沢家、竹内家の順に四度移転した。日光山法会など公用の通行者が多い時には、最勝院・成就院が宿泊施設として利用されることもあった。」と記されている。関根次郎兵衛家は仲町郵便局辺り(確認できず)で年代は不明、関根助右衛門家はこの地でこれも年代は不明、見川家は埼玉りそな銀行の向かい辺りで宝暦四年(1754)~、小沢家は群馬銀行あたりで文化六年(1809)~、竹内家は先ほど述べたように金子歯科医院辺りで、嘉永二年(1849)本陣を務めた。

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以前に中山道を歩いたが、本陣の変遷をこれほど詳しく説明しているのはこの粕壁宿ぐらいであろう。

さて小沢家本陣跡のすぐ先、「田村」の表札がでている旧家の前に道標が立っている。非常に読みにくいがどうやら「東 江戸」「西南 いハつき」、裏側に「北 日光」と刻まれている。

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5分ばかり歩くと問屋場跡と並んで慶長年間創業の「永島庄兵衛商店」があろ。屋根に鍾馗様が乗っているのだが写真には入っていない。(残念)

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10程歩くと黒い土蔵「佐渡屋跡」がある。これは、明治時代前期築の土蔵で国登録有形文化財だそうだ。道路を挟んで向かい側が高札場跡である。

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旧道はここを右折し、古利根川に架かる新町橋を渡る。「新町橋・上喜蔵河岸」の標柱が立っている。

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旧道は、橋を渡り切ると左折である。すぐに「八坂香取稲荷合社」があり隣の「仲蔵院」の境内には寛政四年(1792)建立の青面金剛庚申塔が置かれている。

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先へ進もう。10分ばかり先に「史跡小渕一里塚跡」の碑が置かれている。江戸・日本橋から九番目(九里目)の一里塚である。傍らに天保三年(1832)建立の庚申塔が立っている。

すぐ先には追分道標が置かれている。宝暦四年(1754)建立の道標には「青面金剛、左日光道」、宝永六年(1709)建立の道標

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旧道は、先の小淵の交差点で再び国道4号線に合流する。しばらく行って左手に入れば「観音院」である。本尊の聖観音は、「こぶとり観音」とも呼ばれイボ、コブ、アザにご利益があるといわれている。桜門(仁王門)は市の有形文化財に指定されている。境内には「毛のいえば(ものいえば)唇寒し秋の風」と刻まれた芭蕉の句碑が置かれている。奥の細道紀行で芭蕉はこの寺に宿泊したという説がある。

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日光街道の道しるべ」の説明版がっている。この寺の本尊は阿弥陀如来で道標には「左日光」「右江戸」と刻まれている。道しるべには以下の説明文が記されている。
この道しるべ は、天明四年(一七八四)堤根付の農民四十二人が協力して、新川村(春日部市)の石工・星野常久に作らせ、江戸と日光方面を知らせた。また、この道路の向い側の高野家が、立場を営み、馬で荷物を運ぶ人・駕籠をかつぐ人・旅人・馬などが休む場所となっていたので、この道しるべを多くの人々が見ながら旅を続けたと思われる。
この石塔は、庚申の夜、人間の身体にあって人を短命にするという三尸を除いて、青面金剛 に疫病の予防治療と長生きができるように祈る庚申信仰 を表すものであり、道しるべを兼ねたものである。
なお、見ざる・聞かざる・言わざるは、三尸 になぞらえ、眼や耳や口をふさいで悪事を天の神に報告させないという意味がある。」 杉戸町教育委員会

寺の向かい辺りが高野家が茶屋を営んだとされる「堤根立場跡」である。

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15分程歩くと堤根(南)の交差点で旧道が復活する。途中、昔の風情を残した旧家も見受けられた。交差点のすぐ先が「馬頭院」で本尊は伝教大師策の馬頭観音である。

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今日は、かなり疲れたので東部スカイツリーライン・東部動物公園駅から帰宅。